Raal's Tome of Destruction

主にroguelikeのことを書くブログです

Roguelikeゲームはどこまで煩雑であるべきか?

この記事はRoguelike Advent Calendar 201620日目です。
あっというまに4/5が経過しましたAdvent Calendar、なんとか完走できそうですね。最後までよろしくお願いします。


なお、本日はネタを用意できなかったため雑談枠となります。
色々と進捗ダメでした。

小さな作業を積む楽しみ

NetHackをベースに話をします。
古き良きこのゲームには継続的に小さいコストを払い続けることで明確なリターンを得る仕様が多数あります。
例えば満腹度を程々に保つと耐久を鍛えられる。
例えば投擲を多用すると素早さを鍛えられる。
例えばゴミを拾い集めて雑貨屋に積めば小銭が手に入る。
例えば祭壇に死体を捧げ続けると伝説の品が手に入る。
等々。
やらなくても勝てるかもしれないけど、やると明確に有利になるチマチマした作業がたくさんあります。
小さい優位を重ねていく過程は非常に楽しいもので、それだけで何時間も遊んでしまうほど。
必然的に無駄に細かな描写が増え、独特の雰囲気を演出することにも貢献しています。

情報の格差

そういう"小さなアドバンテージの累積"は楽しい体験をもたらすのですが、問題が一つ。
プレイヤー間の情報格差がそのままゲームプレイに直結することです。
殴られたらダメージを受けた、薬を飲んだら回復した等、即座に原因から結果が出る現象と比較すると、
ある一定期間の行動の蓄積が何かに反映されるというシステムはプレイヤーから見えにくくブラックボックス化しやすいです。
ブラックボックスが多ければ多いほど、ブラックボックスの中が見えるプレイヤーの方が有利に動けるのは必至。
"ソースコード読まない奴は損をしろ"スタイルならばそれで良いのですが、"誰でも公平に遊べるゲーム"を目指すなら避けることになります。
ソースコード読んだ奴がスポイラー書くから良いって?
それは"スポイラー読まない奴は損をしろ"になってるだけなので大体同じですよ。

煩雑さと情緒

DCSSの話をしましょう。
DCSSは"誰でも遊べるゲーム"の方向に舵を切っていて、"チマチマと動いて小アドバンテージを得る"動きを積極的に排除しています。
経験値プールをなくし、自在に経験値を割り振るようになりました。迷宮草を殴って体を鍛えるものはいなくなりました。
アイテム重量とアイテム破損を排し、ベースキャンプの重要性が減りました。巻物や薬が消えるストレスから皆が解放されました。
信仰値を稼ぐときの面倒事がなくなりました。祈らず、捧げず、普通に動いているだけで満足する神ばかりになりました。
矢弾の種類が大幅に減り、エゴと修正値がなくなりました。強い矢を選別する必要も温存する必要もなくなりました。
バッドノウハウが淘汰され、新たなプレイヤーが挑みやすいダンジョンに変化しています。
変化の代償として懐古厨が寂しさを覚えるわけですが、致し方のないところでしょう。

結論

めんどくさい単調作業にも風情はあり、消えるとそれはそれで寂しい。
めんどくさいダンジョンにソースコードやスポイラー頼りに潜るのが至高なので、たまにやるNetHackは楽しい。

次回予告

21日目はKataOcean氏で「製作者視点から見たローグライクの魅力」です。